第15回 総会・研究大会


【プログラム】

日程:2013年6月16日(日)

会場:昭和女子大学 研究館 7F視聴覚教室(K7L02)(アクセス、キャンパス・マップ

〒154-8533 東京都世田谷区太子堂 1-7

※ 当日オープンキャンパスが開催されていますので、多少の混雑が予想されます。会場へは、上記キャンパス・マップをご参照ください。


11:30~

受 付

12:10~12:30

総 会

12:45~16:50

研究発表 (発表30分、質疑応答15分)

17:00~18:00

特別講演

18:00~

懇親会



【研究発表 要旨】

旧教育基本法制定論議と教育勅語処理政策の変遷

―― 田中二郎文書を手掛かりとして ――

緒賀 正浩

旧教育基本法は、その成立経緯からして教育勅語との関係性を問われざるを得なかった。それは、旧教育基本法の審議が議会に移ってからも同様であり、1947(昭和22)年1月から3月にかけて、議会上でも幾度か問題にされている。

こうした旧教育基本法成立と教育勅語処理との関係に関しては、既に多くの先行研究が存在する。しかし、現在までの所、当時、旧教育基本法の実質的な立法作業に当たっていた田中二郎の残した史料を用いた詳細な研究はそれほど多くない。加えて、先行研究の主たる問題関心は旧教育基本法成立過程である為、旧教育基本法が成立する裏で教育勅語がどのように処理されていったのかという問題についてはなお不明な部分が多い状況となっている。

そこで、本発表では田中二郎が残した史料を手掛かりとして、旧教育基本法が議会で審議されている裏で教育勅語がどう処理されていったのかについて検討してみたいと思う。


女子高等教育修了後「家事手伝い」に関する一考察

藤村 朝子

平成24年度学校基本調査(確定値)では、本年度から大卒「就職者」の中で「正規の職員等でない者」の数値を示している。これにより、大卒者の中で「安定的な雇用に就いていない者」の数は、12万8千人にのぼることが明らかになった。男女比で示すと、男子が22.0%、女子が24.1%という結果である。非正規での雇用者数を定量的にとらえると、若干ではあるものの、女子学生の方がより不安定なかたちで社会へ移行していることがわかる。

本発表においても、大卒者の不安定な移行を問題視し、「進学でも就職でもない進路」の中の「家事手伝い」という進路を焦点化する。現在の「家事手伝い」は、恵まれた進路なのか、恵まれない進路なのかといった分類上の揺らぎを内包しながら、結果として下位の進路に転落していると思われる。しかし、過去においては、高等教育修了後の女子の進路として上位に位置づけられるものであった。それではなぜこのように大きな地位変動が生じたのか。女子の進路規定要因を明らかにする上では、この問題を先入観を排して捉えなおすことが重要と思われる。

そこで本発表では、過去の「家事手伝い」が輩出される背景について、戦前期の日本女子大学卒業生に対する進路調査データを用いて明らかにする。


経済社会の変動と女子大学生の結婚観・キャリア意識に関する日韓比較研究

―― 日本女子大学と梨花女子大学の比較を通して ――

西川 裕子

日韓両国は超少子高齢化社会、性別役割分業観、M字型の女性の就業状況等の類似点を持つ一方で、韓国では、アジア通貨危機による急速な経済グローバル化などの社会変動を経験している点で、日本と異なる。本研究では、このような両国の女子学生のキャリア意識を比較することにより、キャリア教育への示唆が得られると考えた。

キャリア意識に影響を与える経済や雇用などの外的環境要因と、儒教思想や良妻賢母イデオロギーなどの内的・主体的要因について、先行研究等を基に分析し、日本女子大学ならびに梨花女子大学の学生を対象に、就業、結婚、性別役割分業観、グローバル化社会の受容性などについて質問紙調査を実施した。その結果、グローバル化社会に受容的で、公務・専門職志向が強く、再就職時には自営・会社経営を希望する梨花女子大学の学生に対して、日本女子大学の学生では仕事に対するやりがいを大切にするとともに、一般職を希望する学生が2割以上いるという違いが明らかになった。韓国は1997年の通貨危機により一気に経済社会がグローバル化され、職種、学歴、雇用形態により賃金格差が拡大し、厳しい雇用環境下にある。日本よりも厳しい雇用環境下の梨花女子大学の学生が若いうちのキャリア開発を重要視している点は興味深く、日本においても、将来の雇用環境を想定したキャリア教育や支援が必要であると考える。また、起業という就業形態は日本ではまだ身近なものではないが、キャリアの選択肢のひとつとして有効であると考える。


もうひとつのモザイク史:日本近現代の美術‐建築‐装飾と社会をめぐる一考察

手塚 恵美子

日本近現代のモザイク研究は、近年では建築史、あるいはモザイク作家や関連企業の立場から語られてきた。それらの中では、例えば、お雇い外国人のジョサイア・コンドル、日本人建築家第一世代の片山東熊、戦後数々の名建築を手掛けた村野藤吾、今井兼次らによるモザイク装飾の系譜が展開する。しかし、もうひとつ、その流れに組み入れてよいと思われる創作活動に、中丸精十郎(二代)(1873‐1943)、和田三造(1883‐1967)ら、美術家によるモザイク作品が挙げられる。日本が様々な分野で近代化を目指していた明治以降、彼らとその周囲の美術関係者の間では、美術の近代化のみならず、美術による日本社会の近代化をも視野に入れた活動が意識されていた。西洋美術の材料・技法・表現・精神を取り入れるだけでなく、それらを用いた、近代国家の都市と社会と生活にふさわしい芸術的な装飾が模索されていたのである。本発表では、そうした動向をも含めた美術‐建築‐装飾と社会との関係を、建築装飾の一分野であるモザイクを通して再検討し、歴史的意義を考察するとともに、現代に委ねられている現存作品の保存の問題についても言及してみたい。


明治期の学校医に関する検討

―― 三宅秀と三島通良の学校医論 ――

高橋 裕子

現在、学校には学校医を置くことになっている。その職務は、健康相談・健康診断・疾病予防・救急処置に従事し、指導や助言も行う(学校保健安全法)。
このような学校医制度は、明治31年1月の勅令に始まる。学校医制度を成立し推進した人々の考えはどのようなものであったのだろうか。まず注目したいのは、文部省の最初の学校衛生担当者、三島通良である。そして従来の三島通良研究史に欠けていることは、三島・政府による学校医制度の前史である。具体的にいえば、三宅秀の学校医・学校衛生観との関連のなかで三島のそれがとらえられていない。三宅とは、明治期の学校衛生制度の検討の場となった学校衛生顧問会議の初代議長で、三島を最初に学校衛生行政の担当者に推薦した人といわれるが、この二人の関係がいまだ明らかにされていない。三宅(嘉永1年~昭和13年)は、蘭医・三宅艮斉を父にもち、文久3年、幕府の遣欧使節に随行して渡仏、帰国後、横浜英語学校でヘボン・ウェッドルから英語・医学を学んだ。東京大学医学部長の要職にも就いた医師である。長与専斎と同様の、いわゆる近代国家草創期の第一世代である。一方、三島は、第二世代である。今回は、三宅との関連のなかで三島の学校衛生、ことに学校医論の特色を明らかにし、明治政府の学校衛生制度をささえていた基本理念がどのようなものであったかを検討してみたい。



【特別講演】

アラブ革命は終わったのか?

臼杵 陽

Ⅰ. はじめに―呼称をめぐって

  • なぜ本報告で「アラブの春」を使わないのか?
  • アラブ革命の現状

Ⅱ. アラブ革命とは何だったのか?

  • 1. EUの「アラブの春」の評価見直し
  • 2. 「イスラーム主義者の冬」?
  • 3. 研究者はアラブ革命の勃発を予想できなかった!

Ⅲ. アラブ革命への分析視角

  • 1. 長期的展望に基づくアプローチ
    •    ① 若年層膨張論
    •    ② エマニュエル・トッドの人口動態論
  • 2. 政治社会的アプローチ
    •    ① 自由主義的政策の破綻
    •    ② SNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)革命論
    •    ③ 政軍関係論
  • 3. 国際社会によるアラブ革命への介入と不介入

Ⅳ. まとめに代えて ― どこに向かうのか?

  • 歴史家エリック・ホブスボームの予言的「遺言」

参考文献

  • 臼杵 陽 『アラブ革命の衝撃―世界でいま何が起きているのか』青土社、2011年。
  • 臼杵 陽 『世界史の中のパレスチナ問題』講談社現代新書2189、2013年。

講演者紹介: 臼杵 陽[ 日本女子大学文学部教授(中東地域研究・中東現代政治史研究)]

日本中東学会会長(2011-12年度)。 2008年度大同生命地域研究奨励賞

第23回アジア・太平洋賞特別賞(『大川周明-イスラームと天皇のはざまで』青土社、2010年、に対して)受賞



第15回総会

2013年6月16日 於 昭和女子大学







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