第18回 総会・研究大会


【プログラム】

日程:2016年6月26日(日)

会場:実践女子大学・実践女子大学短期大学部 渋谷キャンパス

〒150-8538 東京都渋谷区東 1-1-49

アクセス、キャンパス・マップ


12:15~

受 付

13:00~13:30

総 会

13:45~15:30

研究発表 (発表30分、質疑応答15分)

15:50~17:20

ディスカッション

17:45~

懇親会



【研究発表 要旨】

ジェノサイド概念とスターリン期の抑圧をめぐる論争

重松 尚

1940年にソヴェト連邦に編入されたバルト諸国の人びとは、スターリン期を通して政治的抑圧を経験した。多くの住民がシベリアなどに強制移送され、また独立期の政治指導者らが銃殺刑に処されるなどした。このような抑圧がバルト諸国の人びとに対する「ジェノサイド」にあたるとする指摘も少なくないが、他方で国際法上の定義や2015年の欧州人権裁判所判決はこれを否定する。

本発表では、スターリン期の抑圧「ジェノサイド」にあたるか否かをめぐる論争を多面的に考察する。


世界宗教と民族

―― 沖縄プロテスタント思想研究の視点から ――

小林 紀由

沖縄プロテスタント・キリスト教の思想を事例とし、世界宗教と民族との関係を考察する。世界宗教には、民族共同体を超えようとする傾向性と、民族共同体内に土着化しようとする傾向性との、相反する両傾向性を認めることができる。プロテスタント・キリスト教の場合には、前者としては普遍的な神への信仰、後者としては 〈地方語に翻訳された神の言葉の共有〉 によりもたらされる傾向性を指摘することができよう。

本発表は、プロテスタントの特徴を 〈地方語に翻訳された神の言葉の共有〉 にその連帯の基礎を見出す点にとらえ、その民族共同体との親和性を指摘するとともに、民族共同体を超えようとするその思想的努力と困難につき論じたい。



【ディスカッション】

「民主主義とやら」を理解するために

今や「民主主義」も危機に瀕していると叫ばれている。

世界各地での衝突から、わが国の閣僚の発言に至るまで、その傾向は顕著となっている。と言って、よくよく考えてみると「民主主義なる」ものがいったい「何」なのか、わかっているようでわからない、(のでは?)。民主主義擁護の論述も、どうも迫力に欠ける。

わが国では、どこかにこれが「外来」であるというよそよそしさと、それを口実にした理解への努力の欠如も指摘されてきた。しかし、「民主主義」自体人類史上せいぜい300年足らずの歴史しか持ってはいない。いわば世界のどこにもこの思想、制度を十分に理解、運用していくことに習熟している国などない、と言った方がよいのかもしれない。

本ディスカッションでは、吉野作造など日本の「民主主義的」思想にも光を当てる一方、さらに、その基本的理念を問い直すことで、「民主主義なるもの」の理解に努めたい。

司会:降旗 芳彦(実践女子大学)

吉野作造の民本主義とアメリカン・デモクラシー

パネリスト :: 笠松 幸一(日本大学)

民主(主義)的に話し合おう、民主(主義)的な手続きを踏もう、民主(主義)的に決定しよう、民主主義を守ろう、現代日本は民主主義のオンパレードである。しかし民主主義は嘗て日本において禁句であった。その歴史状況に抗して「民本主義」の声を上げたのが大正デモクラシー運動であった。この運動の指導者が吉野作造である。彼は当時の明治憲法(君主主権)の治世にあって、彼の活動が明治憲法に抵触しないように熟慮を重ねて「一般民衆の利益・幸福」(憲政の本義)の実現を説き起こした。吉野作造の苦心の言説を彼の著書に理解しながら、憲政の本義がアメリカン・デモクラシーに密接に関係していたことを確認したい。


どうすれば「民主主義」を論ずることができるのか

パネリスト :: 高頭 直樹(兵庫県立大学)

最近はどう見ても「民主主義」の「原則」に反すると思われる発言が横行している。そうした発言への批判も、よく耳にするが、もうひとつ迫力に欠ける。その迫力の欠如の源を探ってみると、どうも主張の前提にあるべき「民主主義」の理解の曖昧さが浮かんでくる。実際、「民主主義」は必ずしも明確ではないようだ。

最近の具体的な発言なども取り上げ、譲ることができない民主主義の原則とは何か考えてみたい。




第18回総会

2016年6月26日 於 実践女子大学







inserted by FC2 system