第5回総会・研究大会

【プログラム】

日程:2003年6月8日(日)

会場:明治大学駿河台校舎研究棟4F第1会議室
〒101-8301 千代田区神田駿河台 1-1

12:00~ 受付 
12:30~12:50 総会 
13:00~16:50 研究発表 (発表30分、質疑応答10分)
14:35~17:15特別報告:都市への回帰(発表40分、質疑応答10分)
18:00~20:00 懇親会 レストラン「デルソーレ」

研究発表および特別講演要旨

地域における文化の変容について
臼木悦生
現在、日本では「平成の大合併」といわれる市町村合併が全国で繰り広げられている。少子・高齢化の進展や国・地方を通じる財政の著しい悪化等による情勢の変化に対応すべく、行政としての規模の拡大や効率化を図るという観点から、2005年3月までに、3200余りある市町村を1000にしようという政策である。しかしこれが発端となり、いま地方の至る所で様々な問題が噴出し、活発な議論が繰り広げられている。
そこで、本発表ではそうした問題を踏まえ、いま一度「ローカルとは何か。地域固有の文化とは?」について考えてみたいと思う。
すでに、わが国では高度成長期以降、国主導の国土総合開発計画のもとで国土整備がおこなわれてきたが、その結果、同じ規格の道路や類似な区画整理が全国中の至るところに広がり、同じような町並みが地方をうめつくすこととなり、その結果、地方色は失われ、その独自の風景・風土は失われていった。こうした現状を踏まえ、本発表では、具体的な地域の事例もみていきながら、グローバルとローカルの問題や、地域文化の形成と人びとの意識のつながりとの関係等について考えていってみたい。
 
観光産業は21世紀のリーディング・インダストリーになるか?
石川修一
日本国の経済は、周知のように停滞の十年とそして最近2年はデフレーション下で経済規模の縮小傾向さえ見られる。しかし、ここ2年は新産業を創出して経済を活性化する努力を官も民間も行ってきた。これを成功させることで経済成長を達成し、高齢化社会に向けた税収や社会保障費などを確保するというシナリオであった。この新産業とは、IT技術を中心とし、IT産業とそれを利用する産業の創出である。IT産業の脈絡における新産業の創出はある程度成功していると言えるであろう。しかし、すでに言われているようにこの産業及びITの導入は労働節約的であり、雇用吸収力は極めて低く今までのところ事実が示すように、日本経済においてもこのことは明らかである。ところで、今後グローバル化がさらに進み世界全体が国境の垣根がより一層低くなり、人々の移動や往来が益々頻繁になってくることを多くの人々は否定し得ないであろう。このことは、国境を越える国際観光旅行の成長率が、世界観光機関は今までよりもさらに高くなるとし、しかも世界の経済成長率よりもかなり高い値になるとしている。そして、特に日本のあるアジア地域が今後ももっとも経済成長が高い上に、観光産業は、労働集約的である。したがって、この拡大する国際観光旅行市場を獲得し、訪日外国人旅行者を順調に増大させていくことができれば、日本の観光産業は規模も拡大し、日本経済を牽引する21世紀のリーディング・インダストリーになると言われている。本発表はこの可能性について検討する。

 

米軍統治末期の沖縄社会とキリスト教会
小林紀由
この報告は戦後米軍統治末期(1965-1972年)における沖縄プロテスタント・キリスト教の変化、特に「社会派」台頭の背景について明らかにしようとするものである。 戦後沖縄のプロテスタント・キリスト教諸派はいずれも米国同系教団の経済的・人的支援の下にその活動をはじめ、米国の沖縄統治体制と密接なかかわりをもちつつ発展した。その沖縄プロテスタント諸派が米軍の沖縄統治に異議を申し立て、基地問題を中心とする沖縄の社会問題に積極的に取り組みはじめたのが米軍統治末期という時代である。以後、この傾向は沖縄プロテスタントのひとつの重要な特徴をなし今日にいたる。
この報告は米軍統治末期における沖縄プロテスタント諸派の変化を教会内外の諸要因により分析し、沖縄プロテスタント「社会派」がこの時期、米軍統治体制下における教会の在り方からの自己解放運動としてたち現われてきた経緯を明らかとする。

 

仏教から見た福祉思想
新保 哲
一体福祉とは何か。その真の本質、心とは何か。また、どうあるべきなのか。そうした課題について仏教の立場から語る際に、まさに福祉の心・原点の宝庫ともなる『梵網経』があげられる。そこには利他行の実践、他人に代わっての代受苦、放生の勧め実践、看病介護、投薬病養の実践、抜苦与楽の実践等、どこを取り上げても、仏教福祉、仏教看護福祉の教え導きとなっているばかりか、広い意味では社会福祉、救済思想の原点そのものである。その基本の根本命題には大乗菩薩思想の究極「一切衆生悉有仏性」観が存在する。また更には『七仏通戒偈』に謳われる四連句や布施行に関しては「無財の七施」の教え、そして江戸期の慈雲尊者の『十善法語』、『人となる道』等にも福祉の心、精神が示されている点にも注目する必要がある。
同時に併せて経典『父母恩重経』も欠かせない。父母の供養を強調する一文一文に、今まさに問われている老人福祉、児童福祉、障害者福祉に関連し、その医療・介護・看護・看病の方法は状況に応じて種々様々であろうが、福祉の原点となる考え方の基本が顕著に語り示されている。以上の諸点に的を絞って考察してみたい。

 

珊瑚礁の身体
― 折口信夫『死者の書』における、重層化される「神話」と特異な「性」 ―
安島真一
民俗学者であり、国文学者としても名高い折口信夫(1887-1953)は、一編の特異な「小説」、『死者の書』を書き上げた。この『死者の書』とは、日本近代文学史上、他に例を見ることのできないような、非常にユニークな地位を占めるものである。その特異な「構造」を読み解いていくためには、次の二つの「解読格子」を用いることが有効である。
1.物語の「神話的方法」。J・G・フレイザーの『金枝篇』に端を発し、「聖杯探究物語」に応用されることで、その影響を「現代文学」の起源にまで及ぼした、物語の「神話的方法」(エリオットがジョイスの『ユリシーズ』を評価した際、用いた概念)。
2.特異な「性」の感覚と権力の「源泉」。『死者の書』の重層化された「神話」の中心には、なによりも折口の特異な「性」の感覚が存在した。それは自ら<女>へとなる、という欲望である。これは折口の権力論を貫くものでもある。
この二点の交錯する場が『死者の書』であり、それは「珊瑚礁の身体」という未曾有の形象を成立させるものであった。

 

特別講演

研究者の老年期Quality of Life と「老年者学会」構想
鈴木順子
日本において、Quality of Lifeが注目されるようになったのは、1980年代にはいってからである。二年7ヶ月にわたるがんとの闘いの果てに50歳で世を去った精神科医の命をかけての「死の医学」の提唱は、NHKスペシャル「輝け命の日々よ」と題して、その壮絶であるがまさに死を前に輝く「瞬間」の記録が放映され、大きな反響を呼んだ。またその最後の日々の記録は、柳田邦男「『死の医学』への序章」(新潮社 1986)に作品としてまとめられ、医学界のみならず、多方面に人生の終末期医療のあり方を問うたのであったが、それは、それまで非日常の「タブーの世界」に閉じ込められていた「死」を「開かれた世界」へと引き出すきっかけともなった。 ちょうどこの頃、私自身、あわせて7ヶ月余の間、がん病棟の住人となった。
教育学の分野では、「死」は子どもの成長・発達にとって、まったく反教育的価値を持つものとして、タブー視されてきた。しかし、その「忌避感覚」は、単に「人間の手に余るもの」としての「死」への「忌避」にとどまらず、「大いなるもの」「優れて,価値あるもの・美しいもの」への「畏怖・畏敬感覚」の「忌避」にも通じるものでもあり、人間学としての教育学が、当然「開いて見せる」あるいは「知らせて」いつの日か「真向かうべき時」に「真向かえるように」しておくべきことを「排除」することにも連動することに気がついたのである。以降、「生還者」の義務であるという思いで、「デス・エデュケーション」(アルフォンス・デーケンらによって提唱され「死への準備教育」の訳語が用いられている。)を授業の一部にとりいれてきた。この講演では、研究者・教育者として、病棟で過ごした私自身の闘病体験と、ほぼ16年間にわたって若い学生たちと「デス・エデュケーション」についてともに考える中で醸成された「老い」や「死」の思想をもとに、老年研究者の「自己表現」と「学び」と「創造」の場としての「老年者学会」への想いを語らせていただくことで、「想い」を「形」にしてみたいと思う。

第5回総会

2003年6月8日 於明治大学駿河台校舎 

議題

Ⅰ審議事項
①2002年度決算について
②2003年度予算について
③2004年度大会開催校について
④その他

Ⅱ報告事項
①『総合社会科学研究』第2集5号の発行について
②その他


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